日本総鎮守 大山祇神社
〈伊予国一の宮・旧国幣大社〉
愛媛県の最北端、瀬戸内海のほぼ中央、大小の島々に囲まれた瀬戸内海国立公園の中心、さらには愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶしまなみ海道の中心、芸予諸島最大の島である大三島に大山祇神社は鎮座しています。御祭神は大山積大神一座。古事記・日本書紀には、「山の神」とあり、伊予国風土記には「御島に坐す。神の名は大山積・・・一名(またのな)を和多志の大神」とあって、山の神であると同時に、大海原の神、渡航の神とされています。
神武天皇の御東征に先駆けて四国に渡った大山積大神の子孫である小千命(おちのみこと)がこの大三島に勧請鎮祭したと云われております。
天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)の皇妃として迎えられた木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の父に当たる大山積大神は、皇室第一の外戚として、また我が国建国の大神として、全国津々浦々にその御分社が奉斎されています。
神紋
家々に家紋があるように神社にも紋があります。これを神紋といいます。大山祇神社の神紋は「隅切折敷縮三文字―(すみきりおしきちぢみさんもんじ)」といい、折敷の中に波型の三をあしらっています。折敷とは細い板を縁に折り回したお盆の一種で、一般的に神事・儀式に使用されます。
※前・左右の三面に穴(刳形―くりかた)のある台の上に折敷を取り付けた物を三方(さんぼう)といい、ご神前に供える神饌を盛り付ける際に、また家庭ではお正月の鏡餅を載せる際に使われています。
御神木
本殿正面にそびえる御神木は「小千命-おちのみこと(乎知命)御手植の楠」と呼ばれ、大山積大神の子孫「小千命」によって植えられたと伝えるもので、その時代は神武天皇御東征前と云われています。樹齢は2600年あまり。
大山祇神社は古来日本総鎮守として尊称され、大正の御代には四国唯一の国幣大社に列せられた。御本社御祭神は大山積神(おおやまづみのかみ)。摂社【上津社-かみつやしろ】御祭神は大雷神(おおいかづちのかみ)、姫神。摂社【下津社-しもつやしろ】御祭神は高靇神(たかおかみのかみ)、姫神。御本社と両摂社の三社を以て大山祇神社と崇めまつる信仰となっている。
大山祇神社本殿 国指定重要文化財
三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)。胡粉・丹塗り。屋根檜皮葺き。室町初期に再建。
大山祇神社拝殿 国指定重要文化財
切妻造り(きりづまづくり)。素木。唐破風付き向拝。屋根檜皮葺き。室町初期に再建。
摂社 上津社 愛媛県指定重要文化財
三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)。胡粉・丹塗り。屋根檜皮葺き。室町初期に再建。
摂社 下津社
三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)。胡粉・丹塗り。屋根檜皮葺き。江戸初期に再建。
大山祇神社の歴史
大山祇神社社殿後方には【鷲ヶ頭山-わしがとうさん】【安神山-あんじんさん】【小見山-おみやま】の三山が見える。本殿が再建された頃作られたとされる大山祇神社古図(国指定重要文化財)には、御本社・上津社・下津社の神体山として描かれている。島内最高峰(436.5m)の鷲ヶ頭山は古くは神野山(ごうやさん)と呼ばれ、現在でも頂上西側一帯は神野の地名を残している。安神山は毎年1月7日の生土祭に用いる赤土を山麓にて拝戴する。小見山は「お宮の山」が変化したものとされ、いずれも大山祇神社との深い関係を伝えている。
当宮の例祭日は旧暦の4月22日と定められているが、これは養老3年(719年)4月22日、現在の地(大三島町宮浦)に遷座された佳日によるものである。それ以前は大三島南東部にあたる瀬戸(上浦町瀬戸)に祀られていたとされる。