
小橋を渡ると、古代が今によみがえる。
全国の国宝・重要文化財に
指定された武具のうち
8割が、ここ大山祇神社に所蔵されています。
宝物館 -宝物の紹介-
全国の国宝・国の重要文化財の指定を受けた武具類の約8割が、ここ大山祇神社宝物館に保存展示されています。甲冑の保存は全国一で、日本最古の平安中期の鎧をはじめ、鎌倉期~戦国時代まで各時代の代表する名品が展示されています。故に、当地大三島は「国宝の島」とよばれています。
飛鳥時代~平安時代の宝物
国宝 禽獣葡萄鏡(きんじゅうぶどうきょう)〈唐時代 斉明(さいめい)天皇御奉納〉
越智大領守興(おちのだいりょうもりおき)(当神社祭司者)が日唐戦争(白村江(はくすきのえ・はくそんこう)の戦い)に際し、勅命(ちょくめい)によって出陣のとき、斉明天皇が勅願奉納された唐鏡と伝えられ、唐時代初期、東洋随一の最優品大型白銅鏡である。
国宝 澤瀉威鎧(おもだかおどしよろい)・兜(かぶと)・大袖付(おおそでつき)
〈平安時代 越智押領使好方(おちのおうりょうしよしかた)奉納〉
この鎧は藤原純友(ふじわらのすみとも)追捕(ついぶ)のため越智押領使好方(越智国造(おちのくにのみやつこ)の一族)が勅により錦旗(きんき)を戴き、出陣戦勝の御礼に奉納したものと伝え、法隆寺伝来御物沢瀉威鎧雛形(ほうりゅうじでんらいぎょぶつおもだかおどしよろいひながた)とともに、鎧としては最古の遺品である。胸板(むないた)、壷板(つぼいた)、障子板(しょうじいた)、冠板(かむりいた)などの染韋包(そめがわづつみ)の金具廻(かなぐまわり)と称する部分と綿噛(わたがみ)、弦走韋(つるばしりのかわ)、蝙蝠付(こうもりづけ)、兜の吹返(ふきかえし)などいわゆる革所(かわどころ)はないが、ほぼ1領分の小札板(こざねいた)を存している。
重要文化財 革箙(かわえびら)
〈平安時代 和田小太郎義盛(わだこたろうよしもり)奉納〉
儀仗(ぎじょう)の胡籙(やなぐい)に対して兵仗(ひょうじょう)の矢を盛る器を箙(えびら)と云い、逆頬(さかつら)箙、葛(つづら)箙、柳(やなぎ)箙、竹(たか)箙、塗(ぬり)箙、筑紫(つくし)箙などがある。これは黒塗の皺韋(しぼかわ)で包み、正面に韋(かわ)を結んだ蜻蛉形(とんぼがた)をつけた革箙である。これは『平家物語』「遠矢の巻」に、壇ノ浦合戦に岸から平家の軍船(いくさぶね)に射込んだ矢を新中納言知盛(しんぢゅうなごんとももり)が、召寄せて見るに「沓巻(くつまき)より一束計(ひとたばばかり)おいて和田小太郎義盛と漆にてぞ書付たる」とある三浦党(みうらとう)の義盛の奉納と伝えている。
重要文化財 木造扁額(もくぞうへんがく) 額文「日本總鎮守大山積大明神」
〈平安時代 藤原佐理(ふじわらのすけまさ)筆〉
藤原佐理が一条天皇の正暦(しょうりゃく)年中、太宰大弐(だざいのだいに)の官を罷(や)めて都に帰る途中、伊予の海上に仮泊したが、偶々風涛(たまたまふうとう)のため船を出すことが出来ず、神託によって当社の扁額を書いたので初めて出帆(しゅっぱん)することが出来たと伝えられる額である。