大山祇神社 愛媛県今治市大三島町

大山祇神社について

大山祇神社は古来日本総鎮守として尊称され、大正の御代には四国唯一の国幣大社に列せられた。御本社御祭神は大山積神(おおやまづみのかみ)。摂社【上津社-かみつやしろ】御祭神は大雷神(おおいかづちのかみ)また姫神。摂社【下津社-しもつやしろ】御祭神は高靇神(たかおかみのかみ)また姫神。御本社と両摂社の三社を以て大山祇神社と崇めまつる信仰となっている。

大山祇神社本殿 国指定重要文化財

大山祇神社本殿 国指定重要文化財

三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)。胡粉・丹塗り。屋根檜皮葺き。室町初期に再建。

大山祇神社拝殿 国指定重要文化財

大山祇神社拝殿 国指定重要文化財

切妻造り(きりづまづくり)。素木。唐破風付き向拝。屋根檜皮葺き。室町初期に再建。

摂社 上津社 愛媛県指定重要文化財

三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)。胡粉・丹塗り。屋根檜皮葺き。室町初期に再建。

摂社 下津社

三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)。胡粉・丹塗り。屋根檜皮葺き。江戸初期に再建。

大山祇神社の歴史

大山祇神社社殿後方には【鷲ヶ頭山-わしがとうさん】【安神山-あんじんさん】【小見山-おみやま】の三山が見える。本殿が再建された頃作られたとされる大山祇神社古図(国指定重要文化財)には、御本社・上津社・下津社の神体山として描かれている。島内最高峰(436.5m)の鷲ヶ頭山は古くは神野山(ごうやさん)と呼ばれ、現在でも頂上西側一帯は神野の地名を残している。安神山は毎年1月7日の生土祭に用いる赤土を山麓にて拝戴する。小見山は「お宮の山」が変化したものとされ、いずれも大山祇神社との深い関係を伝えている。また、大山祇神社御本殿の御扉は内開きとなっており、通常外開きの様であることを考えると極めて珍しいものと言える。これは過去に社殿後方の三山を御神体として拝していた故に御扉を押し開く様にしたのではないかと推測される。
当宮の例祭日は旧暦の4月22日と定められているが、これは養老3年(719年)4月22日、現在の地(大三島町宮浦)に遷座された佳日によるものである。それ以前は大三島南東部にあたる瀬戸(上浦町瀬戸)に祀られていたとされる。当宮の記録によれば瀬戸の地の社は【横殿宮-よこどののみや】と呼ばれ、大山祇神社または三島宮とは呼ばれていない。何故「横殿」なのか。「横」には「わき」「かたわら」「そば」などの意がある。つまり「横殿」は、主体があって、その「わき」「かたわら」に建てられたものと考えられる。具体的には小千命(おちのみこと)によって勧請鎮祭された当時よりこの地、大三島宮浦に大山祇神社社殿があり、何らかの理由によって仮の社殿が建てられた。それが「横殿宮」ではなかろうか。これ以前の記録が残されていないため推測の域を出ないが、そう考えるのが極めて自然である。因みに、「横殿宮」即ち「瀬戸」の地からは、かつての神体山である三山を望むことはできない。

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